「個人的には別に好きじゃない」からなのですが……。
とはいえこういうタイトルのサイトをやっている以上、やっぱりどこかでなにかのかたちで触れておいたほうがいいかなあ……というわけで、ホームページ開設5年にしてようやくこの「神田川」という30年以上前の大ヒッ曲について、あらためて調べたことや感じたことなどをつらつら書いてみます。
好きな曲でも音楽ジャンルでもないため、実際この曲に関してはそんなに詳しくなかったのですが、あらためて調べてみたところで、
「ああ、ちょうど自分が神田川近くの大学に通い始めた、まさにその年にヒットしたのか」
みたいな感慨はあらためて感じました。が、それも裏を返せば要するに、「正真正銘のリアルタイム地元世代だけれど、当時から現在に至るまでこの曲に関してはまったく関心がなかった」わけで、当然このサイトを始めたきっかけも、楽曲とはまったく関係ありません。
ともあれ1973年(昭和48年)秋、作詞:喜多条(喜多條)忠[まこと] 、作曲:南こうせつ[高節]、歌:南こうせつとかぐや姫(南こうせつ、伊勢正三、山田パンダ)……の陣容で世に生まれ出たのがこの曲「神田川」。
同じころ大ヒットした劇画「同棲時代」(上村一夫)との共通点を多く持つ「若い男女の同棲」という設定、哀愁ただようメロディ……などがうけ、アルバム(LP)「さあど」内の一曲にとどまるはずが、ラジオで放送されるやリクエスト殺到。急遽シングル化して発売したらオリコン6週連続1位、1度落ちてまた1位、つごう7週にわたって1位を獲得、当時の時点で85万枚超の大ヒットとなったそうです。最終的に何枚売れたかは未確認ですが、ミリオンセラーであることは確実です。
ただし、歌詞に特定の画材メーカーの商標「クレパス」が入っていることがネックになって、その年の紅白歌合戦出場は逃したとか。
その後も「かぐや姫」あるいはソロアーチスト・南こうせつの重要レパートリーとして繰り返し歌われ続けているのはご存知のかたももちろん多いことでしょう。収録されているベスト盤系のCDやコンサートライブDVDも多数あります。
この曲、作詞・作曲とも南こうせつだと思われている方も多いようですが、作詞者は喜多条忠(1947年生まれ)というまったくの別人。この人は大阪府出身で、「神田川」以降は作詞家として活躍、演歌、アイドルなどさまざまな歌手に作品を提供されていますが、当時はまだ若手放送作家として活動していたようです。
で、その喜多条氏がたまたま南こうせつ氏と出会って意気投合、LP用の作詞を引き受け、(1960年代後半?)早稲田の学生だったころの自分の同棲体験をモチーフに作詞したのがこの「神田川」。
仕上がった作品は電話で伝えられ、作曲者の南こうせつ氏はその電話口で歌詞を聞いていくそばからもう旋律が浮かんだ……みたいな逸話が残っているみたいです。
ちなみに、南こうせつ氏は大分県大分市出身の1949年生まれ、早稲田の学生でも「神田川」近辺の住人でもないようです。
歌は聴いた人が自分でイメージをひろげてこそのもの、という気がしますので、あまり根掘り葉掘りしてもとは思いますが、なにせ作詞者の実体験がベースであるため、歌詞に出てくる「横丁の風呂屋」や「三畳一間の小さな下宿」には、あえて詮索するなら実在のモデルがあるようです。
まず「風呂屋」は、新宿区西早稲田3-1-3にあった「安兵衛湯」という銭湯がそれ。現在の地理で言えば西早稲田のバス停近くの裏道にありましたが、すでに廃業してしまいました。
この一帯は江戸時代に「高田馬場」(武士の馬術練習場)があった地域。つまり「高田馬場という地名の由来の地」にあたり、堀部安兵衛の仇討ち加勢現場(叔父の果し合いに遅れてかけつけ、ばったばったと相手を斬った)としても有名です。銭湯の名前も、むろんそれにちなんだものでありましょう。
一方、喜多条氏本人が実際に女性と住んでいた「三畳一間の小さな下宿」は……というと、ネットで検索した範囲でもいまいち確実そうな情報が見つけられなかったため特定は当面あきらめますが、
・「安兵衛湯」から徒歩圏内。
・「窓の下に神田川が見える」
・「安下宿が立地している」
・喜多条氏の著書(読んでませんが)によれば、「大正製薬のネオン」が見える場所。
などの条件からすると安兵衛湯からはだいぶ高田馬場駅寄り……高戸橋、高田橋、源水橋、戸田平橋近辺の神田川沿いだったようです。
作者・喜多条氏が実際に暮らした1960年代後半から、歌が世に出た70年代前半ごろの「神田川」、とくにこの高田馬場-早稲田近辺は、曲調からは想像しづらい人も多いかと思いますが、
「切り立った護岸で仕切られ、汚れて悪臭ただよう水が流れる、うらぶれた東京の"場末"的河川」
「ちょっと多めに雨が降るとたちまち濁流があふれて近隣に水害をもたらす暴れ川」
といった状況にほかなりませんでした。
歌から普通にイメージされる情景より3割がたビンボーくささアップ、みたいに考えるとちょうどいいかもしれません。
そのあたり、歌の2番の歌詞を(映画のストーリーを調べたりしながら)説明的に脚色して語ると、こんな感じになるかと思います(もちろん筆者の独断に基づく記述ですので、原作者の抱いたイメージとは違うかもしれません)
中野区内の
末広橋近くの小公園に、楽曲「神田川」の歌詞碑があります。
上記につらつら述べたごとく、実際の「歌の舞台」はここよりずいぶん下流になるし、映画も同様ですが(あるいは何かしら建立のいわれがあるのかもれませんが石碑には言及はありません)、まあ、散歩がてらにふと目にとまれば楽しめるだろう、という程度の意味合いでこの場所に建てられたものなんじゃないかと思われます。