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戸田平橋 (とだひらばし)[神田川]

 
 

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photo(戸田平橋)
 とくにこれといって変哲もなければ風情もない裏通りの小さなコンクリート橋……という印象しかない一角だが、そんな橋にもそれなりの歴史というのはあるわけで、下に紹介するような立派な石碑が北詰に建っている。
photo(戸田平橋)

 あいにく自転車が邪魔していて読みにくいが、碑文には、
「大正8年12月竣工
 戸田平橋
 戸塚新道 記念碑
 従三位 北條時敬書」
 ……とある。
「新道」という表現で、この橋も道もその時点で初めてできたものだとわかる。

 東京新聞出版局刊「神田川」に掲載されている手記によれば、「戸田平橋」の名の由来は、「戸塚」(新宿区側)「高田」(豊島区側)を結ぶ橋であることと、架橋に尽力した地元の淀橋区議会議員・平野与三吉氏の苗字から1文字ずつがとられたものだという。

 「高戸橋」「高塚橋」「高田橋」とあわせ、近辺は「高田」「戸塚」の両地名に由来する(と思われる)名前の橋が、しつこいくらい?多い。それだけ地元に愛着をもたれている地名、ということなのだろうか。
戸田平橋
 なお、碑文の書き手である北條時敬(ときゆき、1859~1929)は、明治から大正にかけての日本の高等教育界の重鎮。山口高等学校、第四高等学校、広島高等師範学校の各校長、東北帝国大学総長(第2代)と、全国各地の校長・総長を歴任しているが、大正8年当時は橋の北方の丘の上=学習院の院長であったことから、地元に新しくできた橋に碑文を寄せたもののようだ。
初架橋:
初架橋:おそらく大正8年12月
現役橋
平成10年度(1998年度)竣工(豊島区)
近辺のスポット
サンルート高田馬場
新宿区高田馬場1-27-7
高田馬場駅からすぐ。
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