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面影橋(おもかげばし)[神田川]


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 ロマンチックな響きの名をもつ「面影橋」は、これまた郷愁をそそられる「都電」の駅名としても現役だし、江戸城主・太田道灌の「山吹」伝説の地ということもあって、神田川流域でも知名度が最も高い橋のひとつ。
 川をはさんでお寺が点在し、景色もよく、周辺の田園は蛍が多い……など、江戸時代から江戸近郊の名所の一つだったようだ。

消えた「姿見」、残る「面影」

広重「名所江戸百景」 高田姿見のはし俤の橋砂利場(全体図)
▲現豊島区高田1~2丁目の一部が砂利場と呼ばれていた。右端の屋根はいまもある「南蔵院」の本堂かと思われるが、ただし手前の小川との前後関係が逆。
▲俤(面影)の橋→実は姿見橋、または「右橋」。
▲姿見のはし→実は俤(面影)橋。橋が架かっている地点は現在とまったく変わっていない。
  かつてはこの面影橋の少し北に小川(というか田んぼの用水路?)が流れ、そちらにかかる橋(右橋)が姿見の橋と呼ばれていた……とか、あるいは姿見の橋は面影橋の別名だとかの諸説もあり、右の図=広重「名所江戸百景・高田姿見のはし俤(おもかげ)の橋砂利場」でも、姿見橋と面影橋の名前が現在とは逆にとらえられていたことがうかがえる。
 が、現在は姿見の橋はなく、面影橋だけがリアルな存在として残っている。 いつの間にか何かの手違いで入れ替わったのだとしても、今は今である。

 で、その「現在の面影橋にあたる橋」が、広重が見た幕末ごろには弓なりの太鼓橋で、それなりに立派なものであったことや、川の向こうに近辺にひろがる田園風景とその奥の丘陵(目白台)の対比がなかなか美しかったことがしのばれる。

 いま現在、橋そのものは最上段の写真のような地味な姿だが、付近の神田川の景観の美しさ、特に桜の開花時期の見事さでは人気がある。
photo:面影橋下流の桜
phto:神田川・面影橋付近の桜

●山吹の里伝説と面影橋

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 橋の北詰に、太田道灌の伝説にちなんだ「山吹の里」の碑がある。もとは橋のたもとにあったものを現在地=「オリジン電機」という会社の入り口左の一隅に移設したそうだ。

 あるとき、大田道灌がこのあたりに鷹狩りに出て雨に遭い、農家の若い娘に蓑を借りようとした。すると娘はただヤマブキの花を一輪差し出した。
 後に道灌は、それが「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだになきぞわびしき」という古歌にかけた答え=残念ながら蓑はない、という意味だったことを家来から教えられ、自らの教養のなさを恥じ、以後は和歌を学ぶようになった。


 ……というのがその故事の中身で、この付近がその「山吹の里」だという話なのだが、実際にはここ以外にも各所が「われこそは山吹の里」と名乗りを上げている上、この話自体、ひろまったのは17世紀=江戸時代になってからのことらしく、伝説の真偽は当然かなり怪しい。
 また、この碑の正体は1636年に建てられた何かの「供養塔」で、そこに後代何者かが「山吹の里」の字を刻んだものだ、ということが説明板に書かれている。

●南蔵院

photo:南蔵院  この橋を渡って道をまっすぐ目白台方向に進んでいくと、右手にあるのが南蔵院というお寺(写真)。
 このお寺の「杉戸に描かれた雌竜雄竜」にちなんだ三遊亭円朝の傑作怪談「怪談乳房榎」の前半の舞台のひとつ。
※2010年夏開催「新感覚の観劇型バスツアー!真夏の怪談ツアー」(ぽけかる倶楽部)で、このお寺を訪問するコースが組まれた。

●金乗院(目白不動)

 さらに進めば左手に金乗院というお寺があり、目白の語源である目白不動の現在の所在地となっている。目白不動は本来はもっと東にあったものが火事で焼けて移転してきたものだ。

都電荒川線・面影橋停留所

 橋の南詰すぐには新目白通りがあり、その真ん中を通る都電荒川線の面影橋停留所がある。
 20年ほど前まではもっと狭い通りで、停留所も八百屋の店先の道路に白線が引かれただけのものだったのを記憶している。
初架橋:
承応2年(1653)?
現役橋
未確認
周辺情報
最寄のバス停
甘泉園公園(都営バス 早77、上69飯64各系統)
最寄の鉄道
東京メトロ東西線 早稲田駅
都電荒川線 面影橋駅

水稲荷神社(南詰すぐ)
 甘泉園に隣接する大きな稲荷社。1501年、上杉朝興の手で建てられたとされ、「戸塚稲荷神社」「榎稲荷」「水稲荷」などの名を持つ。
 もとは現在の早稲田大学構内にあったが、寄贈により甘泉園の土地を入手した早稲田大学と土地を交換して現在地に移転。
 本殿裏に付近の地名=戸塚の由来となったとされる古墳(富塚)がある。また、本殿入り口脇には徳川家ゆかりの茶室があったり、流鏑馬の馬が飼われていたり、非常に華麗な装飾が施されたお神輿(大正期の作)が展示されていたり、なにかと見どころの多いお稲荷さんである。
新宿区立甘泉園公園(水稲荷神社に隣接)
 江戸時代の大名下屋敷(徳川御三卿のひとつ・清水家)の庭園の一部が公園化されたもの。
 園内には泉が湧き、非常に閑静で緑濃い公園となっている。元の屋敷地はもっと広く(7000坪)、その一部は現在水稲荷神社の境内、および公務員住宅などになっている。
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面影橋が登場する文学作品

田山花袋『生』

 暑い日であったが、何となく秋の気が空に満ちていた。目白の停車場まで、銑之助が送って行くと言うので、俥には荷物だけを載せて兄弟は歩く。
 亡き母のことや、嫂のことや、長兄のことや、お米のことなどをいろいろに語り合いながら、軍服を着た秀雄と白地の浴衣にへこ帯をしめた銑之助とは、戸塚町の軒の低い貧しい商家の家並の午後五時過ぎの日影を拾って行った。
 面影橋に曲る道の角あたりで、どうした調子か、秀雄は娘の話を始めた。
(中略)
 面影橋をもいつか過ぎて、兄弟は雑司ケ谷の通りに出る低い坂を登っていた。

阿刀田高『面影橋』

 面影橋を交錯する12の人間模様を描いた叙情的な短編小説集、だそうです。(文春文庫、未読)

面影橋が登場する音楽

作詞:田中信彦・ 及川恒平、作曲:及川恒平『面影橋から』

 フォークグループ「六文銭」、および作詞・作曲者である及川恒平自身のソロ代表曲のひとつとして大変有名。ただし、この歌での面影橋は歌詞の冒頭でただコトバとして1度出てくるだけ。作った当人も「どこかにそういう名の橋があると聞いたことがある」程度だったようだ。

N.S.P『面影橋』

 グループ名のN.S.Pは「ニューサディスティックピンク」の略。73年から80年代にかけて活躍、2000年代にも活動を再開していたフォークグループ。
※残念ながら2005年7月1日にリーダーの天野滋さんが脳内出血で死去されました。
 この曲は「黄昏せまる面影橋にキミを見送るつもりできたけれど、でも帰したくない」という男性の心情をうたったもので、オリジナルは同名のシングル(1979年3月21日発売)のほか「風の旋律」というアルバムに収録。代表曲のひとつとして、現在もNSPの全集ものには欠かせない曲。

「NSPベストセレクション1973~1986」
追加情報▼
2006年7月、「面影橋」を含むNSP全シングルをCDで再現した「NSPパーフェクト・シングルコレクション28icon」が
ポニーキャニオンから発売されました。(通販限定)
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大谷まり『面影橋』 

 女性ロックバンド「Betty Blue」「SCHOOL DAZE」「ACID LOVE」などのグループで活動していたギタリスト/ボーカリスト……のソロシングルのようです。いや、よくわからんです。ぜんぜん別人かも。

杉本しげる『晩夏「面影橋」より』

 1990年に発売された演歌のCDらしい。すでに廃盤。

面影橋が登場する映画

 設定上では映画『神田川』(1974)の主舞台が「面影橋のほとりのアパート」ですが、ただし実際の撮影地は少し下流の豊橋です。詳細はこちらで。

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