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| 両国橋(りょうごくばし)[隅田川] | |
| MENU全画面表示 | 隅田川の橋の代表「両国橋」 浜町の東京水辺ライン水上バス乗り場付近からの両国橋の眺め。 橋の向こう側の茶色いビルは亀清楼。神田川の出口はすぐそのすぐ手前にある。 アーチ型の橋は総武線の鉄橋。 右側の岸辺に点在する水色はホームレスの皆さんの家々。 高速道路が雨よけになるせいか、両国側にだけ集中している。 明暦3年(1657年)1月、ほとんど江戸全体をなめつくした「明暦の大火」のおり、浅草橋御門付近では避難路を絶たれた江戸市民が1万~数万人の規模で犠牲となった。 この事態を受け、千住大橋以南、江戸至近の位置としては初めて大川(隅田川)に架けられたのが両国橋のはじまり。 当初は単に「大橋」と呼ばれたが、のち、「武蔵・下総の両国を結ぶ橋」という意味あいで両国橋と通称されるようになり、また、橋の両岸を含めたこのエリア一帯が「両国」と呼ばれるようになった。 本来は防災のために設けられた橋 
 今でいうならお台場か東京ディズニー・リゾートみたいな「江戸市民の身近な定番シティ・リゾートエリア」てな感じだろうか。 
 実際、両国橋架設がきっかけで、隅田川の西側におしこめられていた「江戸」は川向こうに一気に拡大、同じ17世紀のうちには永代橋、新大橋なども架橋され、「本所」「深川」の存在が江戸の経済発展を大きく担うようになり、かくして時代は17世紀末から18世紀初頭にかけての「元禄時代」にさしかかることとなる。 | 
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