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| 錦橋(にしきばし) [日本橋川] | |
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| どうにも地味。 神田錦町と皇居前方面を結ぶ橋。  写真手前左手が「錦町河岸」、付近の町名は神田錦町。その語源は「付近に一色という名の武家屋敷が2軒並んでいたから」だといわれている(らしい)。もし事実なら下流の「一石橋」の名の由来とパターンが同じで、しかもいまいち面白みの面では負けるという感じだ。 江戸時代中盤から明治初期にかけて、この錦町のあたりは通称「護持院ヶ原」と呼ばれる広大な火除地で、非常に寂しいところとして知られていた。 森鴎外に、ここを舞台とした短編小説「護持院原の敵討ち」がある。読んでみると残念ながら特に具体的な情景描写などは見当たらないが、逆に「護持院ヶ原」という固有名詞を出すだけで当時の読者には十分イメージがふくらんだ、ということなのかもしれない。 また、福沢諭吉は若いころ、築地から小石川に語学の勉強に通う必要上でこのあたりをよく歩いたそうだ。そのころ(明治初期)もまだ「大きな松の木が生い茂り、追い剥ぎでも出そうなところ」であったため、帰りが夜の11時、12時になったときなどは格別の怖さだったと述懐している。(福翁自伝から) 右岸一帯はもと徳川・一ツ橋家(慶喜など)の屋敷跡。この時代には橋の向こうは延々と一ツ橋家の敷地なので、ここには当然橋はなかった。 いまはその大名屋敷跡地をざっくり流用するかたちで、気象庁、消防庁などの官庁と丸紅の本社ビルがそびえている。言い方をかえると、「大手町の官庁・ビジネス街の北西辺」にあたる。 | 
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