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小桜橋(こざくらばし)


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この付近はサミットネットスーパーの配達区域内です。
 南詰はT字路で、目白通りを隔てた南側は出版取次大手・トーハン本社の正面になるが、北詰は小桜商店街の名のある(あまり流行っているとはいいがたいが)商店街を経て、この一帯では唯一、わりあい長距離にあたって道が北へ、北へとつながっている。そういう文京区側にとっては重要な橋であるせいか通行量のわりに道幅が広く、橋を過ぎるといきなり道幅が半分になってしまう、みたいな構図になっている。道路拡幅の計画でもあるのだろうか。
 橋そのものの基本デザインは両隣の中之橋西江戸川橋などと共通で、名前にちなんだのか桜色に塗られている。
 歩道わきに並ぶ照明ランプがちょっとお洒落だ。

小桜橋 よく見ると、道路と橋の境目にレールのようなものがあるが、これは横引き式の防水扉のレール。

 万一の増水時には橋をこの扉で締め切り、橋以外の部分の護岸と同じ高さまで堤防を嵩上げするしくみになっている。
 最近できた周辺の各橋に共通の特徴だが、手すりの構造も、増水した水を通しやすい構造が配慮されているようだ。
現地付近の文京区「旧町名案内」より要旨を抜粋。
●この橋の北側少し先に明治5年~昭和41年まで武島町(たけしまちょう)と呼ばれた一角がある(現・文京区水道1~2丁目の一部)。
 ここには土佐出身で高名なジャーナリスト/自由民権論者だった中江兆民が1901年(明治34年)に亡くなるまで長らく居を構えていたとのこと。(旧武島町27番地、現・文京区水道2丁目4番地)

●その近く=現・文京区水道2丁目3番地には明治14年創業の「長成社」という製紙会社があり、大正期、この会社のブランド名「江戸川」は、封筒、辞令用紙、株券用紙などでおなじみのものだったらしい。

切支丹坂

切支丹坂
 上の写真正面の石段と、手前側のトンネルから始まる逆勾配の坂道が「切支丹坂」。ただし石段のほうは別名「庚申坂」とも呼ばれているようだ。

 位置は小桜橋からまっすぐ北上、小日向交差点を渡ってさらに道なりに進み、地下鉄丸の内線小石川検車区を左手に見ながらさしかかった最初のトンネルを抜けたあたりになる。

「切支丹坂」の由来は、近くにあった寺社奉行・井上筑後守の下屋敷あとに寛永あるいは正保年間(1620年代~40年代)に切支丹やその疑いのある者を監禁する牢が作られ、その屋敷が「切支丹屋敷」と呼ばれたことによるという。

 ちなみに、宝永6年(1709)暮れにはヨハン・シドッチ(ジョヴァンニ・バチスタ・シドッチ)というイエズス会所属のイタリア人宣教師(1668~)が島津藩からこの切支丹屋敷に護送されて取調べを受けている。

 このとき、当時御用学者に取り立てられて間もなかった儒学者・新井白石(1657~1725)は強い興味を抱いて自ら宣教師を尋問、結果をまとめて『西洋紀聞』という本にまとめた(1715ごろ完成。ただし明治になるまで公刊されず)。これは日本初の「西洋事情本」として知られる。
 そうした情報提供の功績?ゆえか、シドッチは処刑を免れたものの、正徳4年(1714)[またはその翌年]に獄中で病死している。

 そういった歴史が背景にあり、名前も意味ありげな上、以前はちょっと不気味な雰囲気の坂だったことから、明治以後、錚々たる著名文学者たちが好んで作品中で言及している。

 下記サイトからの受け売りによれば、切支丹坂に触れられている文学作品には次のものが挙げられるとのことだ。
出典:文学散歩・東京探見
・夏目漱石『琴のそら音』明治38
・田山花袋の『蒲団』明治40
・岡本綺堂『青蛙神(せいあしん)』大正13
・志賀直哉『自転車』 昭和26
・木下順二『本郷』昭和57

 特に田山花袋の代表作『蒲団』は、読んでみると小説の書き出しからいきなり「切支丹坂」である。
 小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠(かれ)は考えた。
 もっとも、文脈から判断すると、主人公が立っている位置は石段(庚申坂)を上りきって春日通りに出たあたりで、北東に続くゆるやかな下り坂(現存)に向かおうとしている。また、切支丹坂という地名に言及されているのはここだけである。
 切支丹坂は、単にそのコトバのインパクトが利用して読者を作品に引き込む役割だけを果たしている格好だ(それはそれで「さすが」なんて思ったりするわけだが)。

 志賀直哉のほうは、幼いころに狭くて急な切支丹坂を自転車で降りた思い出話が語られている。

 切支丹坂に言及されている娯楽小説としては、下記が知られる。
  柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』内の短編「切支丹坂」
  典厩五郎『小栗上野介の秘宝』(明治6年を舞台にした長編ミステリー)

初架橋:
不明。
現役橋:
1997年?
最寄のバス停
東五軒町(都営バス 上69飯64各系統)
最寄の鉄道
東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅
周辺のスポット
小桜商店街(橋の北詰の通り)
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