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万世橋 (まんせいばし)


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初架橋
筋違橋としては寛文年間。
明治5年、中国式の石造アーチ橋(萬世橋)。ただし現在よりだいぶ上流に位置。
現在地の万世橋の初架橋
明治36年3月5日
現役橋:
昭和5年(1930)落成
備考
平成19年3月28日、千代田区景観まちづくり重要物件に選定
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万世橋 2002-02-27
 万世橋は、新橋-銀座-日本橋-神田から上野へと抜ける東京都心のメインストリート中のメインストリート=中央通り(国道437号線)が神田川を渡る橋。
 真下を地下鉄銀座線が通っており、JR秋葉原駅から近いことはご存知の人が多いだろうが、地下鉄銀座線の神田駅からも近い。

江戸時代は「筋違橋」(すじかいばし)

 初代の万世橋は、江戸時代に少し上流にあった「筋違橋御門」が取り壊されたとき、その代替として門の石垣の石を主材料に建設されためがね型の石橋であった。
 位置が東側(下流側)に多少ずれたものの、実質的には筋違橋の直接の後継橋という性格を持っており、その意味では起源は寛文年間にさかのぼる。

「萬世橋」と書いて「よろずよはし」と風雅に訓読みするのが正式だったそうだが、さすがにちょっと凝りすぎというもの。日常的には「まんせいばし」と読む人が当然多く、じきに(新万世橋への架け替え時?)それが正式な読み方になったようだ。
 また、初代の万世橋は現在とは位置がかなり異なっていた上、いまの万世橋の位置には別の橋=江戸時代にはずっと上流にあった「昌平橋」がかかっていた。
 位置関係の移り変わりを整理すると次のようになる(らしい)。
江戸時代 明治初期 明治後期以後
     
  昌平橋  
         
 
筋違橋  
       
   
   
      
   
  初代万世橋  
       
   
   
  昌平橋  
     
     
  昌平橋  
         
   
   
   
  万世橋  
     
 いいかえると、「初代の万世橋は昌平橋だった」ともいえることになる。この点を把握せずに明治時代の地図など見てしまうと、かなり混乱しそうだ。

広重「名所江戸百景」筋違内八ツ小路
 

交通の要所だった明治後半~昭和40年代の万世橋南詰

 JRの秋葉原駅、電気街などがいずれも川の北側にあってにぎやかなのに比べると、南側は「神田のはずれ」「秋葉原から川を隔てた向こう側」という雰囲気が強く、ゆえに万世橋というと今では「秋葉原のはずれ」みたいなイメージがどうも強い。 
 しかし、橋の南詰に位置する須田町交差点(かつては現在地よりさらに橋に近かった)は、早くから馬車鉄道、のち市電の路線が集中、さらに明治45年には国内初の本格的駅前広場を持つレンガ作り駅舎の国鉄中央線万世橋駅ができ、東京駅まで線路が延長されるまで中央線のターミナル駅として機能していた。
萬世橋停車場の古絵葉書
 大正時代の万世橋(萬世橋)駅前広場。(当サイト運営者・蔵)
 中央に立つのは日露戦争で「名誉の戦死」を遂げた「軍神」第一号・広瀬武夫中佐と杉野孫七兵曹長の銅像で、明治43年建立。
 右側は赤レンガ造りの万世橋駅で、明治45年に落成。大正12年の関東大震災で破壊、簡素な駅舎として復旧したものの昭和18年10月31日に駅が廃止。跡地は交通博物館となっていたが2006年に埼玉県に移転予定。

 左奥の特徴的な建物は神田郵便局で、いまはフツーの四角いビルだが当時と同じ場所にある。
 今でいえば地下鉄大手町駅の地下道が地上にあるような……というか、そういう「東京都心の公共交通の要所」「最大の乗り換え駅」みたいなイメージで親しまれていた場所であり、実際、乗り換え客で大変混雑する一角だった。

 また、青果市場や柳原通りの古着屋街など、地域を象徴するような施設も、秋葉原側ではなく、川の南側に集中していた。

 そのころに比べればめっきり「寂れた」感じがぬぐえないものの、今も近辺には弘化三年(1846)創業の果物屋の老舗「万惣(まんそう)」、川っぷちの「肉の万世」本店、万世橋駅跡地を転用した交通博物館、奥まった神田淡路町かいわいには老舗のそば屋「神田藪」などなど、見どころ・食べどころが点在している。

 また、地下鉄銀座線の須田町交差点側出口には、日本初といわれる地下街が現在も残っている。


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