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聖橋(ひじりばし)

 

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初架橋
昭和2年(1927)9月8日 復興局施工
橋長92m 幅22m 鋼及びコンクリ-ト橋
設計者:山田守(1894-1966)
現役橋:
同上
備考
平成19年3月28日、千代田区景観まちづくり重要物件に選定
周辺のスポット
神田明神
参照資料リンク
長崎大学附属図書館古写真データベースより
湯島天神からの雪景色
湯島昌平黌 「東京
お茶の水と聖橋(※この写真に写っている橋が聖橋だとはちょっと思えませんが……)
昔の絵葉書と現在の聖橋聚史苑
周辺リンク
龍名館本店
千代田区神田駿河台3-4

by じゃらんnet
江戸時代からの日本橋の旅館の息子が分家して明治32年(1899)に創業、現在の社長で4代目という筋金入りの老舗旅館。

山の上ホテル
千代田区神田駿河台1-1

by じゃらんnet
規模は大きくはないが、出版社・古書店が多い土地柄、文筆家にもファンが多い駿河台の丘の上の名門ホテル。レストランの充実ぶりにも定評。

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 上の写真は、お茶の水橋から下流の聖橋を眺めたところ。
 大きなアーチ型が印象的な聖橋のむこうに地下鉄丸の内線の鉄橋が覗く。その先はゆるやかな坂(左岸は昌平坂、右岸は淡路坂)を下って左が秋葉原、右は昌平橋を経て万世橋、須田町近辺につながる。

 この一帯は都内有数の渓谷美を誇るが、その主役の神田川自体が江戸時代に本郷台地を開削して造られた運河なので、100%人工的な景観でもある。

 この運河ができる前は左岸と右岸は地続きの本郷台地(神田山)。
 運河完成後、写真右手側は駿河出身の徳川家家臣が多く住むため駿河台と呼ばれるようになっていった。


昌平橋からの聖橋の眺め(2005/5)。
昌平橋のページにもほぼ同じ構図のものを紹介しましたが、
それよりずっと後に撮影したものです。
しかし、ここの景色はシロート小型デジカメ写真家(?)には
ハードル高いですね。補正しまくってようやくこの程度。

ふたつの「聖(ひじり)」をつなぐ橋


 聖橋の南詰め側に見える尖塔をいただく丸屋根は、聖橋の正面に立つ駿河台のシンボル、「ニコライ堂」。正式名称は「日本 ハリストス正教会東京復活大聖堂」というロシア正教の教会の建物で、7年かけて明治24年(1891)落成、以後すでに110年が経過している。
 塔のてっぺんの高さは35mあるそうで、しかも立地が丘の上。往時は都内のずいぶん広範囲からこの屋根が見えていたようだが、今は周囲のビル群に囲まれていまひとつ目立たない。

 一方、対岸・湯島側のこんもりした森の中にあるのが「湯島聖堂」。
 1690年(元禄3年)、5代将軍徳川綱吉によって建てられた「孔子廟」で、1797年(寛政9年)からは幕府直営の漢学の学校=昌平橋学問所(昌平黌)が敷地内に設置され、あまたの漢学系エリートを輩出。こんにちの東京大学の先祖(の1つ)という位置づけになる。
 学問所当時の敷地は現在よりずっと広く、お隣の東京医科歯科大学一帯が校舎になっていた。
 現在の聖堂の建物は関東大震災後に復興されたもので、1935年(昭和10年)竣工。
 現在は財団法人斯文会という団体が運営、「孔子祭」などの伝統行事と漢文を中心とした文化講座、関連書籍出版などが行われている。

 と、説明が長くなったが、南詰のニコライ堂、北詰の湯島聖堂、2つの「聖」なる建物の間にかかる橋、というのが「聖橋」の名の由来で、公募の結果決まったものだそうである。

聖橋の設計者・山田守

 聖橋の設計者は、大正末期から戦後・昭和30年代まで息長く活躍、とくに病院建築に多数の実績を残した建築家・山田守(1894-1966)。
 大正9年に東大建築学科を卒業、聖橋(1927年落成)を設計したころは30代前半の「気鋭の若手」であり、復興院橋梁課の嘱託をつとめていた。
 大胆な放物線(パラボラ)を取り入れた設計が持ち味の1つで、聖橋はまさにその具現化例のひとつ。
 その他、現存する知名度の高い建築としては「京都タワービル」「日本武道館」(いずれも晩年の作)がある。

ここがたぶんいちばん知られている神田川の景観

 聖橋の上から下流方向を眺めたところ。
 地下鉄丸の内線とJR中央線が川の上で立体交差し、遠くに総武線の鉄橋が見える(その下にあるのが昌平橋)。
 この光景は昌平橋から聖橋を眺めた景色と並んで大変よく知られており、ひところは「近代都市・東京」を代表する風景として子供向けの絵本などにも掲載されていたのを覚えている。

 日本橋と首都高速の関係とは異なり、自然本来の地形の起伏、(江戸時代に造成された人工の)川、20世紀の鉄道建築……が三位一体となって「ダイナミックな都市美観」がうまく形成された典型例といえるのではないだろうか。

 ちなみに、画面左側の河岸に密集する建物群の背後は坂道で、建物はそこから崖に張り付くように建てられ、2階や3階から出入りする構造になっている。画面手前側ほどその落差が大きい。
 子供のころ初めてこのあたりを総武線の電車内から見たときは、今よりもっと「バラック」然とした木造建物が聖橋よりまで(もしかしたらさらにお茶の水橋よりまで)びっしり張り付いていて、なんだか迫力があった。

歌の中の聖橋

 聖橋にまつわる楽曲としては、さだまさし「檸檬」(アルバム「私花集(アンソロジイ)」に収録)がよく知られている。

 別れのときを迎えたらしい男女を歌うこの曲の1番では、湯島聖堂からお茶の水駅に向かう際、女性のほうが橋から川にむかってぽーんと放り投げた食べかけのレモンが、赤い中央線快速電車がすれ違いながら川に落ち、波紋を広げる光景が歌われる。
 2番では、橋の上から投げられた食べかけの「夢」を、レモン色の総武線電車がかみくだいてゆく……みたいな少し抽象的な内容が歌われている。

 橋の上から川にモノを投げるという行為自体はあんまり感心しないわけだが、気分はわかるっていうか……
 実はぼく自身、聖橋の上(御茶ノ水駅側)で、なにやら深刻な顔つきの若いカップルが向き合い、女の子のほうがべそべそ泣いている光景を目にしたことがある。 そういう情景がく似合う橋なのは確かではあるなあ、なんて思うのであった。


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