東京いろいろ情報箱>神田川(TOPへ)神田川のページ>神田川水系 橋INDEX サイト内検索> 

新川橋

堀留橋

南堀留橋

俎橋

宝田橋

雉子橋

一ツ橋

 quick Menu : 神田川TOP はじめに 変遷図 年表 文学 橋めぐり 書籍 |  東京の宿 交通情報 全国アンテナショップ@東京 東京エキストラNOTES
 

俎橋(まないたばし) [日本橋川]

 

MENU全画面表示


出版物やホームページ等への当サイト掲載写真原版(大半、より高解像度のものがあります)、資料ご提供に関しては、運営者にメール等でお問い合わせください。


俎橋
 靖国神社を頂上にいただく九段坂を下りきった場所にあるのが俎橋。

 もとは2本の板をわたしただけの粗末な橋だったことからこの名がついたらしく、江戸時代には橋の左岸(神保町側)は道が入り組んだ武家屋敷地で、さほどの通行量ではなかったことが想像される。

 現在の俎橋は靖国通りが神田川を渡る位置にある重要な(少なくとも道幅の広い)橋で、地下鉄九段下駅に向かう歩行者の通行も多く、このあたりでは最も活気にあふれた橋のひとつといえる。
 上の写真で橋の向こう側に見える古めかしい茶色いビルは、日本最初期のコーポラティヴ・ハウス(雑居ビル)である九段下ビル。
 昭和2年(1927)落成というから、かれこれ70年以上俎橋のほとりでがんばっている建物である。


九段坂の中腹から俎橋を望む。

 撮影位置は、戦中戦後の暮らしの展示を中心とする博物館「昭和館」の入り口付近。ここはもと「蕃書調所」跡。
 画面右中央、高速道路の真下が俎橋(橋そのものはぜんぜん見えないが)。
 厳密には九段下交差点はまだ坂の中腹で、降りきったところが俎橋の橋詰、という地形であることがわかる。 

蕃書調所(ばんしょしらべしょ)

 安政3年(1856)江戸・九段坂に設立され、初期にはオランダ語の文献を中心に収集。ほどなく時代の要請で英・仏・独語の教育機関としての活動も開始、幕府の洋学研究・教育機関として中心的な役割を果たし、西欧の科学技術吸収にも貢献。文久2年(1862)5月、洋書調所と改称。以後も曲折を経て、こんにちの東京大学につながる。
初架橋:
江戸時代。別名 大橋、魚板橋
現役橋:
昭和4年(1929)12月6月
橋長:25.6m 幅:42mのコンクリ-ト橋
昭和58年(1983)11月架け替え(?)
図版
<参照>@長崎大学附属図書館古写真データベース
九段公園 | 九段坂と燈明台(1) | 九段坂と燈明台(2) | 九段坂の桜 | 九段靖国神社の桜 | 九段靖国神社 | 東京招魂社(1) | 靖国神社の鳥居
周辺リンク
ホテルグランドパレス
03-3264-1111
(地下鉄九段下駅から徒歩1分)
近辺の宿泊施設リスト
おすすめ参考資料
iconicon
(セブンアンドワイ)

江戸明治東京重ね地図
(amazon.co.jp)

神田川(TOPへ)

このページの先頭へ