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江戸屈指の大災害の現場

佐衛門橋から浅草橋を眺める。
 実はこの橋、明暦の大火(1657年1月)の折、門の木戸が閉じられてしまった(「伝馬町の牢人が脱走した」という噂が広まったためといわれる)ために、神田・日本橋側から北方(浅草側)へ避難しようとする群集が行き場を失い、1万人とも数万人ともいわれる多数の死者(焼死者、圧死者、溺死者などなど)を出した、というたいへん悲惨な過去も持っている。

 この災害が教訓となってすぐ近くの隅田川に新たに架けられたのが大橋(両国橋)で、浅草橋・両国橋の2ルートからの人の流れがこのあたりに集まるようになり、付近一帯はますます繁華な地域へと発展していった。柳橋など、同じ神田川にかかる(門の構造をもたない)近隣の橋も17世紀中にはできてくる。
 いいかえれば、当初「江戸城防衛上の重要な装置」という役割を持たされていた江戸の川と橋が、50年~100年の間で変質し、便利な流通・交通手段としての側面を要求される時代へと、すっかり変化したわけだ。
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