1991/03 指名されてしまった男

990年11月末に開かれたプロ野球ドラフト会議の話題の主役は亜×亜大の×池秀郎投手。なんと8球団から1位指名が集中し、抽選の結果×ッテ・オリオン×が交渉権を獲得したものの、本人が拒否、社会人野球に進むことになったのは記憶に新しい。

 この×池投手、12月3日に×ッテ側と会見した際、レポート用紙数枚の「拒否宣言メモ」をスカウト部長に手渡したという。筆マメな人ですね。頼めば『PB』に手記を書いてくれるかも......なんてことはともかく、じつはいま筆者の手元に、その×池投手の「拒否宣言メモの下書き」というモノがある。

 あるスポーツ記者が寮のゴミ箱から見つけてきたが、×ッテが早々に×池獲得を断念したため日の目を見なかったものだという。「下書き」なので、公表されたメモにはない彼のホンネが書かれており、今のドラフト制度問題を考える上で非常に興味深い内容になっている。
 というわけで、本人には悪いがその内容を紹介しよう。ただし一部の発言を伏せるなど編集してあり、文責はあくまでも筆者にある。また、原文を×池投手本人が書いたという証拠はどこにもない。この点ご承知の上でお読みください。

 私はいま、一番恐れていた球団の指名を受けて落ち込んでいます。せっかく×ッテを牽制するために西武・ヤクルト・巨人を逆指名したのに。ショックでTV出演もすっぽかし、2日間、寮にこもって自分なりに考えてみました。

(1)プロ球界は、いわば従業員700人の中小企業みたいなもの。最初にどこに配属されるかは問題じゃない。たとえ望む部署に入っても、いつ転勤になるかもしれないし、その逆もある。
(2)×ッテは看板社員の退社直後で、活躍のチャンスが大きい。
(3)近い将来、チバのウォーターフロントに移転予定で、トレンディ。
(4)親会社の業績も悪くない。
(5)ボスは苦手なタイプだが、どうせ社員より任期が短いだろう。

 ......こう見ると、客観的には×ッテもまあ、そんなに悪くはない気もします。しかし私はここで妥協するより、あえて拒否することでドラフト制度問題に一石を投じるほうを選びたい。

のドラフト制度は、実力ある新人ほど損する構図になっていないでしょうか。八方からお呼びがかかるなんて、『ねるとん紅鯨団』出場者の女の子だったら幸せの極地なのに、それが不運の証明になってしまう。これはどう考えても理不尽です。

 大体、私はクジ運は強いほうですが、それを自分の進路に生かせない。ここはどうしても納得がいきません。
 各球団の指名が重複した場合、なぜ選手自身にクジを引かせてくれないのでしょうか
 自分で引いて×ッテが出れば、それなりに納得したかもしれないじゃないですか。

 そもそも、各チームの「力の接近」と「契約金の高騰を抑える」目的で導入されたドラフト制度って、発想それそれ自体がすごく時代遅れというか、大前提からして間違ってると思うんです。

 戦力になるかどうかわからない人間に何千万も契約金を出す余裕があるなら、積み立てて退職金をはずんだほうがいいんじゃないですか
 むろん、活躍した選手には、そのぶん割り増しをすればいい。
 これなら、多額の契約金がころがりこんだ若手選手が不動産の副業に手を出して大借金を作ったり、外車を買って使い果たす心配はなくなります。万一夢破れて引退したときも、多額の退職金がそれからの第二の人生を保証してくれる。契約金がなくなれば、ドラフト制度自体の崩壊も早まる......。

 そんなわけで私は、退職金がもらえる一般企業に身を預け、ドラフト制度が廃止される日まで、プロには行かないことを決心しました。
 ただし、巨人か西武かヤクルトが指名してくれるなら話は別です。どうぞよろしく。

(c)YanaKen 1991 as バニー柳沢 オリジナル掲載誌:集英社「月刊PLAYBOY」1991/3(No.189)
PLAYBOY FRONT LINE バニー・柳沢の男の浮遊講座「今月は先月の来月」
あるドラフト1位指名選手、逆転の発想。「人生のクジをオレにも引かせろ!」


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「8球団から1位指名を受けながら、意中の球団ではなかったためプロ入りを拒否」
 ......というのは1990年のドラフトをめぐって実際にあった出来事で、本文ではわざとらしく伏字にしてありますが、実名は「亜細亜大出身の小池秀郎投手」。「8球団に指名」は前年の野茂投手と並ぶ「最高記録」でしたが、本文にある通り、それくらい「ひっぱりだこ」な人材をすんなりプロに迎え入れることができないドラフト制度の問題点が、あらためてクローズアップされる事態となりました。
 小池選手はその後、松下電器を経て2年後のドラフト(怪物・松井秀喜と同じ年)で近鉄に指名されてようやくプロ入り。2004年までで通算51勝(1997年には15勝をあげて最多勝)、2005年現在はあの新生「東北楽天イーグルス」に所属しています。

 その他、この1990年のプロ野球ドラフト会議の主な出来事は次の通り。
・前年ダイエーに指名されて入団を拒否し、1年間ハワイで野球浪人していた元木大介が無事巨人に1位指名。
・亜細亜大で小池の陰にかくれた存在だった高津臣吾投手がヤクルトに3位指名されて入団。
・その他関川(阪神2位→中日)、湯舟(阪神1位)、佐野(近鉄4位)、長谷川滋利(オリックス1位→大リーグへ)らがこの年のドラフトで球界入り。

●毎年のドラフト会議の状況と、その後の各選手の戦績にまつわる情報は、下記サイトがとても充実しています。
ドラフト会議で指名された甲子園の星達