1990/11 ドイツの「顔」

レポーター「そこのおふたかた、ちょっといいですか?」
通行人A「ソリー、アイキャントスピークイングリッシュ」
「私、日本語で話してますよ。ドイツのテレビ局の特派員です」
通行人B「あ、ドイツの人でしたか。そりゃどうも、ぐ、グーテンベルク。じゃ、さいなら」
「ちょっと待ってください。少しお話聞かせてください。日独は第2次大戦当時の同盟国で、同じように敗戦を体験し、今は経済大国になっている。そんなふうに共通点が多い日本の一般市民が、今、ドイツという国をどう見ているのか。それが知りたくて街頭インタビューしています。あなたがたは最近のドイツについて、何が最も印象に残ってますか

「ドイツ? ドイツっていえばやっぱり、ハイル......」
「ばか、よせよ。まあその、ぜんぜん詳しくないですけど、最近のドイツっていえば、やっぱりベルリンの壁がなくなって、双方まるくおさまったという話でしょうね」
「双方のマルク? 通貨統合のことまでご存じなら、けっこうお詳しいじゃないですか」
「つーか等号? おれ今、そんなこと言ったっけ?」
「"通過・投合"ね。確かに東ベルリン市民が壁を通過して西の市民と意気投合してるシーンは、テレビで見て感動しました」
「??」

「そういや、こないだ大学生の甥っ子が、ヨーロッパ旅行のみやげにベルリンの壁の石持って帰ってきたよ。それがけっこう堅いのね。いかにもドイツ製って感じで」
「石にドイツ製もくそもあるかよ......あ、これひょっとして今、テレビに映ってます?」
「ドイツ国営放送のドキュメンタリー番組の録画取材です」
「独メンタリー、なんちゃって」
「10月3日、東西ドイツ統一当日の特別番組なんです」
「へぇ、10月3日っていえばもうじきだな。そら、めでたい」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
、B「じゃ、がんばってください。さいなら」

「いやちょっと、ちょっと待ってください。もうひとつだけ、とても簡単な質問をしますからぜひ答えてください。あなたがドイツという国名からまっさきに連想するのは?」
「えーと、つまり、アメリカだと自由の女神、日本だとフジヤマ・ゲイシャ、エジプトならピラミッド、オランダの風車、フランスならエッフェル塔とか、そういうシンボルみたいなもののこと?」
「まあ、そうです」
「何だろう。やっぱ、ベルリンの壁かな......もう壁はないか。じゃあ......クルマ?」
「日本のお家芸だぜ」
「ジャガイモ、ビール、ソーセージ......」
「どれも、食い物だな。なんかインパクトないな」
「ふーむ。そうあらためて考えると、顔になるようなものがいまいち思い浮かばない」
「やっぱり顔っていえばあの、チョビ髭の......」
「その話はよせってば......うーん。すみません、おれたちドイツという国にはぜんぜん無知で」
「でも、日本人ならみんな似たようなもんじゃないかな」
「......ありがとう、よくわかりました。要するに日本人にとっては、ドイツといえば壁のイメージがすべて。壁がなくなってしまうと、ドイツという国の日本におけるアイデンティティは限りなくゼロに近い。壁という化粧を落としたらのっぺらぼうみたいなものだと」
「いや、あの、別にさ、日本人全員がそうだとは限らないよ」

 確かに日本人"全員"がそうとは限らない、のではあった。

(c)YanaKen 1990 as バニー柳沢 オリジナル掲載誌:集英社「月刊PLAYBOY」1990/11(No.185)
PLAYBOY FRONT LINE バニー・柳沢の男の浮遊講座「今月は先月の来月」
東西ドイツ統一後の大きなカベは、あの壁をなくしたことである(?)


<FOLLOW UP>
◆東西ドイツ統一までの歩み◆
・1989年5月、ハンガリーがオーストリアとの国境を開放。
 →両国を経由して東ドイツから西ドイツに入国する人が急増。
・1989年11月4日 東独民主化運動が拡大、東ベルリンで100万人規模の民主化集会が開かれる。
・1989年11月9日 東独クレンツ政権、西ドイツへの出国の規制を緩和。情報が錯綜する中で東ドイツ住民がベルリンの壁に殺到、国境警備隊が検問所のゲートを開き、実質的に壁が崩壊。翌日未明、東西ベルリン市民が壁を破壊。
・1990年3月 東独初の自由選挙で、ドイツ統合を掲げた保守派の「ドイツ連合」が勝利。
・1990年5月 東西ドイツの通貨統合。
・1990年7月 西ドイツのコール首相とソ連のゴルバチョフ大統領の間で、ドイツ軍の兵力削減と東ドイツに駐留するソ連軍の撤退が合意。
・1990年8月31日 統一条約調印。
・1990年9月12日 6カ国外相会議で最終規定条約調印。
 →本稿は、このへんのタイミングで書いたもの。
・1990年10月3日 東西ドイツ正式統一。