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柳橋のたもとの老舗料亭「亀清楼」

 柳橋のたもとの茶色のビル(柳橋リバーサイドマンション)の1階にある老舗日本料理店・亀清楼(かめせいろう)は、かつて多数あった「柳橋の料亭」の唯一の生き残り。
 東京新聞のホームページの情報によれば、
亀清楼の看板と柳橋・安政元年(1854)創業。創業者亀屋清兵衛が人気料亭「万八楼」を買い取って改名したもの。
 とのことだが、どうもこれは少しおおざっぱすぎる説明のようで、調べてみたところ、若干矛盾する情報がいくつか出てきた。

・嘉永年間(1848~1854)に出されたという「料理茶屋番付」(守貞謾稿 に紹介されている)には、「万八」「亀清」の両方がほぼ同格の店として紹介されている。
・「鹿鳴館秘蔵写真帖」には明治初期に撮影された「雪の柳橋 万八楼」の写真があり、また、「明治・大正・昭和東京写真大集成」には、万八楼の廃業は明治初期のことであったと説明されている。また、亀清楼は明治20年ごろこの地に豪壮な木造建物を新築しており、その上棟式の写真が掲載されている。

 上記を総合すれば、
・亀清(亀清楼)の創業は、安政元年よりは少し古いかもしれない。
・当初の亀清は現在地と別の場所にあり、万八(楼)と並存していた時代も長いが、明治に入ってからは、廃業した万八楼の跡地を買収、建物も新築して亀清楼として営業開始した。

 といったいきさつである可能性が高そうに思われる。
 いずれにしても「柳橋と隅田川にはさまれた一角にたたずむ料亭(いまはビルの中だが)」という配置が1800年代初頭から現在まで保たれていることだけは確かではある。

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