YanaKen's Page>神田川(TOPへ)神田川のページ>橋INDEX>

…皐月橋

桔梗橋

東郷橋

長者橋

宝橋

菖蒲橋

相生橋…

 Kandagawa quick Menu : TOP はじめに 変遷図 年表 文学 橋めぐり 書籍 リンク 東京の宿泊施設 交通情報 東京GOODS
 

長者橋 (ちょうじゃばし)[神田川]

 
下記にお住まいのかた限定広告です▼
東京都大田区・品川区・杉並区・世田谷区・中野区・目黒区・町田市および神奈川県川崎市・相模原市・横浜市
 
 

MENU全画面表示

PC Users' Yellow Page
長者橋
 都心外郭の大幹線道路である山手通りが渡る橋である上、すぐ北側の路面中央に、新しい首都高速の「中野長者橋」ランプが口をあけている関係上、平成10年代の架け替え時にものすごく幅の広い橋となって現在に至っている。
 橋の名の由来はこの近辺に残る「中野長者」の伝説にちなむ。

●中野長者伝説の骨子●
 西暦1300年末~1400年代ごろ、鈴木九郎という者がこの近辺に住みつき、一面のススキの原であった中野坂上・西新宿一帯を開墾、一代で「中野長者」と呼ばれる富豪にのし上がったものの、やがてその欲深さが肥大化し、自らの財を守るためなら人殺しも辞さない極悪非道な男になってしまった。
 ところが、そんな九郎が目に入れても痛くないほどかわいがっていた愛娘・小笹が18歳の若さで急死。しかもその亡骸は蛇に姿を変えてしまった。
 このことで自らの行いを悔いた九郎は、かつての信心深さを取り戻し、自宅を寺に作り変え、自らも出家して「正蓮」と称した。
 というわけで、現在も橋の少し北側の丘の上にある多宝山成願寺というお寺がその「中野長者が建てた寺」で、開基は1438年。
 近年、「開山さま」すなわち正蓮こと鈴木九郎の像が改修された際に多数の骨片が発見され、鑑定の結果「中年の男性とからだの弱い娘の骨」との結果が出され、「鈴木九郎と娘・小笹の骨に間違いないであろう」とされているそうだ。

マップ
・この付近の航空写真を表示(by Googleマップ)
・初架橋:
未確認。前身と見られる橋(成願寺の南側)は江戸時代からかかっていたようだ。ただし流路の変更により現在地はそれより50mほど南方。
現在の位置には戦前からかかっていた。
現役橋
未確認(平成10年代)
ご当地リンク
近くの宿泊施設
イーストンホテル
新宿ニューシティホテル

おすすめ参考資料
iconicon
(セブンアンドワイ)

江戸明治東京重ね地図
(amazon.co.jp)




<<この欄には、"東京"にまつわる広告をランダムで表示しています>>
このページの先頭へ







神田川(TOPへ) 本日のページ表示回数(主要ページ合計)回 訪問者数
昨日のページ表示回数(主要ページ合計)回 訪問者数
PC Users' Yellow Page