島崎藤村住居跡

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 明治の文人・島崎藤村は、『破戒』でいちやく文壇の寵児となった直後の明治39年10月から大正2年2月(フランスに遊学)まで約7年間、この柳橋付近……当時の地名でいうところの浅草新片町一番地(推定位置の地図にリンクしています)に居住、この地で「春」「新片町より」「芽生」「千曲川のスケッチ」「後の新片町より」などの作品を書いた。
※現地には特に記念碑等はありません。

 藤村はこの地で妻と死別、男手だけでの子育ては困難ということで住み込みの家事手伝いにきていた次兄の娘(つまり実の姪)を妊娠させてしまう事件を起こし、後にその一件を小説『新生』にしている。
 ただし、小説の結末あたり(ふたりの別離が描かれている)は実際にはまだ二人が関係をもっている間に書かれたもので、むしろこの小説を書くことでふんぎりをつけて実際に別れた、という順序であったようだ。






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