「柳橋」の名は、もとは少し南の薬研堀(やげんぼり)にかかる橋の名としても使われていた。
そこへ現在の柳橋が加わったため、重複を避けてこの元祖のほうは「元柳橋」と呼ばれるようになったという。
詳しくは薬研堀/元柳橋跡のページへ。
現在の柳橋は鉄橋で、大正の関東大震災で旧柳橋が落橋したのをうけて架けられた。永代橋のデザインをモデルとし、耐震構造に配慮した鋼鉄橋で建設されている。
平成3年~4年には、傷んだ親柱の復元、花街にちなんで欄干にかんざしをあしらい、歩道には御影石を貼り、夜にはライトアップされるなど、橋の存在感をアップする一連の工事が施工され、周囲の景観とあいまって、なかなか情緒あふれるスポットとなっている。
柳橋は、神田川の一番下流で隅田川に流入する河口に架かる橋。
以下、橋の南詰にある碑文からの受け売りだが、江戸時代後期の記録によれば、幕府の命で当時の町年寄の樽屋藤右衛門により木橋がつくられ、川口出口之橋、または矢の倉橋と呼ばれたのが起こりという。
現在の「柳橋」の名の由来については、下記の諸説があるようだ。
]]>素直に(2)か(3)と考えるのが妥当そうにも思えるが、逆に(1)によって柳橋となり、いつしか柳橋だから周囲に柳が植えられた……とか考えるのもちょっと楽しい。
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